keita_shimabの日記

京都在住Webディレクターのイベント参加メモや読書メモなど。

ITプロジェクトを失敗させる方法~失敗要因分析と成功への鍵~(読書メモ1)

 

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『ITプロジェクトを失敗させる方法~失敗要因分析と成功への鍵~』

2008年発行と少し古い本ですが、本書によるとプロジェクトの半数以上が失敗しているとか。

ITプロジェクトの成功率に関するいくつかの調査結果を見ると、その成功率は30%~50%という結果が出ています。つまり、ITプロジェクトの半数以上が失敗に終わっているということになります。

 

数字の出所が気になるところですが、興味深いテーマ。

 

目次は以下の通り。今回は「1.」の議事メモ。

  1. ITプロジェクトは、なぜ失敗するのか
  2. 提案・受注段階での失敗
  3. 立ち上げ・計画段階での失敗
  4. 実行段階での失敗
  5. 終了段階での失敗


失敗の種類

まずは「失敗」の定義から。以下いずれかに当てはまるものは失敗(残念)。

  1. 納期遅れ
  2. 予算超過
  3. 品質粗悪
  4. 利用されず廃棄
  5. プロジェクトの中止
  6. 関係者の疲弊

「4.」については、爆速でβ版をリリースして高速PDCAを回す過程の話であれば失敗ではないだろうと思わなくもないけれど、規模によっては確かに「失敗」と定義されて然り。

 

失敗要因分析の4つの切り口

プロジェクトの前提条件。これを捉えたうえで「どう成功を目指すか」なんだろうなと。

 

①ITプロジェクトの特徴

  • 結局は「人間業」であること。能力や体調、モチベーションが多分に影響する。
  • (ハンドリングが難しいけれど)仕様の曖昧性を許容する必要がある(創造的な作業であるため走りながら考える)。 etc

ゼロからイチを生み出す、ある種 宿命のようなものだと解釈(「仕様の曖昧性を許容」は個人的には大きな気付き)。

 

②ITプロジェクトを取り巻く環境

プロジェクト=茨の道としか捉えられない(笑)

  • コンピューター・システムが利用される領域が広がり、要求が多様化。要求の把握が困難に。
  • プロジェクトが企業の存亡をかけたものになり、外部環境の変化とスピードにあわせて仕様を変える必要がある。
  • 効率化と分業化の難しさ。そうせざるを得ないのだけれど、「問題やリスクが共有されない」「作業分担の隙間で発生する作業を誰も引き受けない」などの問題が出がち。etc

 

ステークホルダー(利害関係者)の影響

顧客(ユーザー)、ベンダー、プロジェクトマネージャー、プロジェクトチーム・メンバー、全ステークホルダーとの協業体制が必須。無関心や丸投げはダメ絶対。

 

④プロジェクトの段階

大きく以下のフェーズに分かれる。

  • 提案・受注段階
  • 立ち上げ・計画段階
  • 実行段階
  • 終了段階

それぞれの分析は、また別記事で。

チームのことだけ、考えた。(読書メモ)

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ひとりでできる仕事なんて無い。

今まで経験した仕事は、チーム単位で動くケースがほとんど。
世の流れもそうなっていると聞いた(「昔はエースにぶら下がっていればよかったけれど、これからは集合知で戦う時代」by UX KANSAI浅野先生)

働くうえで「チーム」のことは無視できなさそう。


まだビジネスパーソンを辞めるつもりはないので、「チーム」について知るべく知人に教えてもらった本を読んだ。

サイボウズ社長・青野氏著『チームのことだけ、考えた。』

 

読後の感想は「『チーム』はあてがわれるものではなく、全員が『チーム』になるための努力をする必要がある」。

当たり前すぎる感想に見えるけれど、自分自身の中で「チーム」の意味が捉えられたことが、とても大きな収穫だった。

 

チームとは

のっけから本書ではなく、別からの引用(汗)。

ゼミの活動を効率的にするにはどうすればいい?──チーム運営に必要な基礎を学ぶ「チームワーク創造メソッド」 | ベストチーム・オブ・ザ・イヤー

 

グループというとジャニーズのイメージ。ジャニーさんによって集められたっていう受け身な感じというか。チームは目的意識を持って、自分の意志で集まった人たちというイメージがあります。

「確かに、スポーツは勝利することを目的として集まっているから、“サッカーグループ”とか“野球グループ”とは言いませんよね」と話し、「グループは、家族や地域社会といった『集団』のことを言いますが、『チーム』は、企業や部活動のような『目的を達成するための集団』のことを言います。」

目的あってのチームだと理解。

 

続いて本書から。
こちらには「チーム」の成立条件が定義されています。

チームには「共通のビジョン」「チームの構成員」「役割分担」「仕事の連携」の4要素が必要


前出のブログの「目的」もそうだけど、意外と「ビジョン」などの大前提が抜けがちという印象。

 

というのも、社内では配属によって、社外では偶然居合わせた人たちで「チーム」が組まれる。そのため、大前提である「目的」や「ビジョン」がなくてもチームっぽく立ち居振る舞える(でも、実はこの時点では「チーム」ではなく、ただの人の集まり)。

 

目指すものをの共通認識を持つ。まずはそれがチームビルディングの第一歩か。

 

チームワークとは

チームでワークすること。つまり「仲間と働くこと」であり、それには良し悪しがある。

チームワークの良し悪しを決めるのは、「効果」「効率」「満足」「学習」の4要素であること。

それまで私は、チームワークが良い状態とは、単純に「成果物が多い」状態だと考えていた。しかし、がむしゃらに働いて成果を上げるだけの非効率なチームが、果たしてチームワークが良いと言えるのか。メンバーの満足度が低くて解散寸前なのにチームワークが良いと言えるのか。学びが少なく、メンバーの成長につながっていないのに、チームワークが良いといえるのか。

 

また、前出のブログによると、

チームワークとは、チームのメンバーが目標(理想)を達成するために役割を分担し協働すること。

 

(一般的に)会社では自分の意志ではなく配属によってチームに属することが多い。
それなのに、成果の上がるチームとそうでないチームが存在する。
メンバーの能力云々という観点はあるものの、以下のように同じ人でもチームが変わるとダメになるという調査結果や、チームワークには『心理的安全性』が必要だという話しもある。

gendai.ismedia.jp

 

ありきたりの表現だけど、メンバー全員が同じ方向を向き、互いににホスピタリティを持ち合いながら、一人ひとりが活き活きとしているチームこそが、チームワークを良くできるのだろう。

 

大切なのは「多様性」

サイボウズでは「100人100通り」の働き方ができる。一人ひとりの個性は違うのだから、それを受け入れる「多様性」が重要で、それを大切にすることでチームワークが上がる。
社員一人ひとりにすでに「多様性」が存在しているので、それを受け入れるのが先決だと。

今、目の前にいる従業員がそもそも一人ひとりまったく違う存在だと考え、彼らの個性を制限している障壁を取り除いていく。すでに社員は多様であり、それを一律的な規則で働かせてるのをやめるだけである。

以前は受け入れられなかった人を採用し、活躍の場所を作れるようになる。言葉としては、ダイバーシティよりもインクルージョン(包括性、一体性)に近い。個性を受け入れる力だ。

 

多様性ある組織に必要な2つのこと

ここまで読んでると、チームワークを良くするための取り組みは組織側だけのように感じてしますが、そうではない。

個々人でも大切にすべき2つのことがある。

 

「公明正大」
「嘘をつかない」ということ。自分とは違う個性をもった人と協業するのだけら、せめて正直に。嘘つかれるとややこしい。
似た言葉に「誠実」があるが、そうではない。「誠実」は人にとって捉え方が異なり、曖昧さが残る。一方で「嘘をやめよう」は捉え方のブレは少なく、全員で共通認識を持てる。

 

「自立」
自分で選択し、自分で責任を取る覚悟を持つ。言い換えると、「人のせいにしない」。
自分の理想をきちんと言語化し、周囲に伝える。自立を実現するためには「質問責任」と「説明責任」を果たす必要がある。

質問責任とは、自分が気になったことを質問する責任であり、自分の理想を伝える責任であり、その結果、自分の理想が叶わなかったとしても受け入れる責任である。
説明責任とは、自分が行った意思決定について説明する責任であり、他のメンバーからの質問に応える責任である。

 

冒頭で書いたとおり、チームは会社や上司があてがってくれるものではない。参加しているメンバー一人ひとりも、当然役割を担っている。


最後に(「人間は理想に向かって行動する」)

チームやチームワークから書きたかったので後回しにしましたが、本では最初の方に書かれている、青野氏がたどり着いたたった一つの経営の基本法則について。

「理想」とは、その人が望んでいる未来だ。すべての人は、自分が望んでいる未来に向かって行動する。

なぜ社員が辞めるのか。それは、辞めることで理想を実現したいからだ。

その理想を聞き出し、実現するための課題を考え、それを遂行していけばいい。課題を遂行しても実現できないのであれば、あきらめてもらうしかない。不満を口にする社員に対し、感情的に対応する必要はまったくない。

この法則に気付いたおかげで、サイボウズに一体感がない原因も理解できるようになった。サイボウズには共通の理想がないのだ。従業員がそれぞれバラバラの理想を持ち、バラバラに活動しているのだ。

 

このことに気付き、青野氏は全社共通の理想を決めることから始めます。

本書はサイボウズ創業当初から現在の遍歴の中で、どうやって今の組織を作り上げてきたかをトレースするもの。大きくは、以下の流れで会社を立ち上げ(建て直し)ます。

  1. 組織のあり方定義
  2. 個人のあり方定義
  3. 物事の進め方、議論・検討の仕方のフレームワーク決め
  4. 意思決定フローの整備
  5. 個々人のモチベーションアップメソッドの確立
  6. 評価制度の整備

 

個人的な発見は、「5.」のモチベーションの課題があった場合、解決策として思いつくのは「6.」の評価制度。でも、そうではなくて、目を向けるのはもっと上位のことだということ(「1.」や「2.」まで遡って、組織と個人の理想時点でミスマッチが起きている場合、それ以降のことに着手しても、根本的な解決には至らない)。

前述のチームの成立条件を見ても確かにそうだなと。

 

自分が属している人の集まりは「チーム」になれているのか。

また、自分自身が「チーム」を作るアプローチをしているのか。考えさせられる本でした。

よいサービス・製品のための、UXデザインの考え方

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2/10(金)午後に半休をいただいて大阪へ。「UXデザイン」を学ぶべくこちらのセミナーに参加。

peatix.com

 

セミナーは3部構成。

  • まずは浅野先生から「UXとサービスデザイン」の講座。
  • 次にクックパッドの倉光さんによる、クックパッドのUXデザインの取り組み事例紹介など。
  • 最後に参加者同士が対話するラーニングバー。

 

気付き、発見、得られたことは3つ。

  • 「答えが無い」という事実。このことをちゃんと捉える重要性
  • 答えはないけど、ビジネスにおいては成果を出せばそれが正解

そして最後に

  • 私が、UX(デザイン)を「打出の小槌」として捉えていたこと


マーケティング活動のパラダイムシフト

モノからコトへ。機能に価値があるとする「グッズ・ドミナント・ロジック」から、体験に価値があるとする「サービス・ドミナント・システム」へ。コトは顧客に提供されるもの。モノはコトの構成要素。

 

詳細説明は、他人様のブログを拝借。。。

hikaru1122.hatenadiary.jp

hikaru1122.hatenadiary.jp

hikaru1122.hatenadiary.jp

さらにグッズ・ドミナント・ロジックには問題があります。まず、私たちが物を買うのは、物自体がほしいのでありません。私たちがほしがっているのは、物を消費・使用することで得られる便益(ベネフィット)だったり、ブランド・セルフイメージの向上・社会的なつながりなど目に見えないものだったり、体験・経験だからです。

企業と顧客がそれぞれのリソースを活用して、価値が生まれます。つまり、価値は一方的に提供されるのではなく、共創されるのでした。これを「価値共創」といいます。そして、共創される価値は受益者(顧客)によってそれぞれ違うものになります。なぜなら、顧客によってリソース・身を置く環境などが異なるからです。共創される価値は「文脈価値」と呼ばれます。

 

サービスを考えるうえでコンテクストが重要。ただ、ユーザーごとにコンテクストが違う。

例えば、ランチ。一人だとコンビニの300円くらいのサラダとか。でも、友達と一緒なら1,500円のランチもいく。

この「複雑なこと」を捉えるのがとても重要

 

※理解を深めるために。少し古い記事ですが「サービス・ドミナント・ロジック」の事例(あとで読む←読んでないんかい)

「サービス・ドミナント・ロジック観点のビジネスモデル」│株式会社イー・エージェンシー

 

「知らんがな」(※「調査が重要」の意)

ユーザーの複雑なコンテクストを捉えなきゃなんないので、ぱっと出のアイデアとかどーでもいい。


何につけ「調査」が必要。しかも定性的な質的調査。大きく 3つ。

  1. 社会生活への参加:参与観察
  2. 対象社会の生活の直接観察:オブザベーション
  3. 社会生活に関する聞き取り:エスノグラフィ

エスノグラフィについては浅野先生のブログを拝借。。。

UX 関西 #02 エスノグラフィ(前編フィールドワーク) | 経験デザイン研究所

私は親子でお弁当を食べる人々を見に来た。
まずは写真を撮るのでは無くて、じっくり観察して「その場のルール」を見つける

顕著な例をひたすら撮るのでは無くて「そのルールが正しいのか?」問いを持って観察しよう。
視ながら観察の精緻化を行うのだ。
そこで新しい「発見」があるかもしれない。
おお、みんな同じ弁当を食ってる。

観察が終了したら、分析は帰ってからやる。
まずは、バイアスがかかるので現場では分析をしない。

 

ただただ観察する「エスノグラフィ」。対してモノを触ってもらいながら質問しまくる「デプスインタビュー」(リズ・サンダースのクリエイティブキットとか)。

 

※デプスインタビューの説明ではありませんが、とても気づきの多い記事だったので、インフォバーン井登氏の記事を記載させていただきます。

www.infobahn.co.jp

 

インタビューの全体像は、、、またもや浅野先生のブログを拝借。。。

半構造化インタビューと非構造化インタビュー | 経験デザイン研究所

 

調査あるある

『トライアンギュレーション(方法論的複眼)』が必要だよって話し。
調査をしても、例えば上司やクライアントに「でもそれって特定の人だけの話しだよね?」って一蹴されるあるある。
これは上司やクライアントの理解が良くないのではなく、データの出し方が下手なだけだと。
大事なのは『トライアンギュレーション(方法論的複眼)』前出の3つの方法を駆使して、複数の視点が提示できれば相手も納得できる。


不動産の営業さんはニーズをうまく引き出す

ユーザーに「何が欲しいですか」って聞くのは愚問だった話し。
自分の住みたいところを言語化できる人はいない。
例えば引っ越し前と似た雰囲気に住みたいと思っている人に対して、適当な場所に連れていく。
そこでの反応(例えば「ん~、、、もうちょっと静かな方がいいなぁ」とか)を見て、いくつかの場所に連れていって、3回目くらいで当てると。

 

クックパッドでの取り組み

どこまで書いていいのか分からないのでちょろっとだけ。倉光さんのお話しで印象的だったキーワードをピックアップ

 

「UX」という言葉を使わない

UXって言っちゃうと具体性がなくなるので、「料理する人の、どんな料理体験?」「何に困っている?何があれば?どう解決する?」ということを具体的に言語化するのが大切だと。

UXデザインにおいてはユーザーを知ることが大前提であること、ユーザーは自分のニーズを言語化できないのでそれをしっかり捉えること、さらにそれをきちんと共有すること。
いろいろ大切な要素が盛り込まれた言葉だな~。

 

ユーザーの言うことは聞かない

、、、は言い過ぎですが、例えば「使いにくい」というユーザーについて、よくよく調査してみると、そもそも利用目的・求めるものが違ったと。
ついついユーザーの声に縋っちゃいたくなりますが、ユーザーの声を、(複数の視点をもったうえで)どう解釈するのかが大切だなと感じました。

 

今後生き残る人材

ラーニグバーの中で「UXデザインを学ぶうえで適切はありますか?」という質問が。

いくつかあったのですが(気になった人は、UX KANSAIにいけばいいw)、その中でも刺さったのが「問いを立てる能力のある人」。
例えば、プロジェクトなどでゴールが設定されてた場合、そのゴールを疑う人。なぜなぜ?を繰り返す人。

 

ほなこのへんで
メモを見なが箇条書きしてたら、結局冒頭の気付きについては触れたり触れなかったり。まぁ個人メモだしいっか。

仕事の報酬とは何か~人間成長をめざして~(読書メモ)

 

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社会人になって16年。「何のために仕事をしているのか?」と聞かれると、「自分のことを必要だと思ってもらい続けるため」と答えてる。


自分なりにはフラットな返答だけど、何となくネガティブに受け取れなくもない。
もちょっと整理したいなと思いふと手に取った本の読書メモ。

 

『仕事の報酬とは何か~人間成長をめざして~』

 

書によると、仕事の報酬とは、大きくは「目に見えない報酬」。これは「収入」や「役職」といった目に見えるものではない。また、これは決して失われることのない尊い報酬。
具体的には

  • 能力
  • 仕事
  • 成長

この3つのこと。
それぞれの説明は、以下の通り。

 

「能力」

一生懸命に仕事をすると、職業人としての「能力」が身に付く。
良い仕事を残そうとする努力を通じて、職業人としての「能力」が磨かれる。

「能力」って言葉は、何となく先天的な印象を受けるけれど、技術のように鍛錬で身に付き、磨かれるものという解釈。
このあたりは、「GRIT」に通じるものがあるなと(愚直にやり続けるのが能力。一方で能力のある人を神格化して努力をしないのはクソだ的な)

keita-shimab.hatenablog.com

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keita-shimab.hatenablog.com

keita-shimab.hatenablog.com

 

「仕事」

一生懸命に仕事をすると、良い「仕事」を残すことができる。
職業人としての能力を磨くことによって、優れた「仕事」を残すことができる。

なんとも禅問答のような。。。

 

「成長」

一生懸命に仕事をすると、人間として「成長」できる。

 

実感しやすいのは「仕事」なのかな。たとえば去年と今の自分で、どんな仕事が任されているのかが、報酬のものさしになるのかも。


あらためて再整理

上記3つも含め、報酬には2種類ある。

 

1つめは、「自ら求めて得るべき報酬」(「能力」「仕事」「成長」)
2つめは、「結果として与えられる報酬」(「収入」「役職」)

 

書曰く、収入や役職といった「結果として与えられる報酬」を自ら求めて得ようとするからオカシくなると。

なるほどなるほど。確かに、結果として与えられるものを欲しがったり、コントロールしにいくアプローチをとるのは、心も体も疲弊しそうだ。
自分でコントロールできる領域。適性に苦労しながら「得よう」とすべき領域。それを見極めることが大切っぽい。

 

「能力」について、もう少し詳しく

我々は、「腕を磨く」ということそのものに、無条件の「喜び」を感じるからです。

一昔前、我が国の企業には、その喜びがありました。

朝から晩まで一生懸命に働き、残業、残業で仕事をしていると、どんどん自分の能力が高まっていく、という喜びがあった。

そして、職場には、その「目に見えない報酬」を「報酬」として実感させてくれる瞬間があった。何か。上司の一言です。

 

今はこの「腕を磨く」ということが、自分の商品価値を高めるための手段になっているので、このことが報酬と感じられ辛いのだと。

 

ある種、ブラック企業臭がしなくもないけれど、心理的に満たされることの重要性については、そうだよなと。

 

また、能力を磨くのは時間かかるので、これを「自ら求めて」得ようとすると、性急になって逆に能力が磨かれないよ、とも。
確かに。これは個人に対しても言えることだし、企業やマネジメント側に対しても、気付きを与えてくれる指摘だと感じた次第。
このことに関して、刺さった言葉を引用。

一流のプロフェッショナルは、するべき努力を、愚直なほどに、している。
彼らは、決して、「近道」や「広き門」など信じていない。

 

能力を磨くうえでのコツは?

それは「師匠」を見つけること。師匠を見つけ、「呼吸」(「リズム感」と「バランス感覚」)、「着眼」(経験から反省するための視点のようなもの(と解釈した))、「心得」の3つを学ぶべし。

 

ばっくりとは、やっぱり自分の中に無いものは他人を頼って身に付ける。その際、自分の中の何に課題意識を持ち、どうアプローチするかを学ぶ。みたいなことかと理解。
ちなみに、師匠を探す際に大切なのは「一芸」という視点。誰もが一芸に秀でているので、周囲は師匠だらけだよって話し。

 

「仕事」について、もう少し詳しく

我々が、仕事を通じて創り上げ、顧客に提供しているのは、単なる「商品」ではない。それは「作品」である。

 

どうすれば「作品」を残すことができるのか。

それは、前述した「腕を磨く」だけでは成し得ない。

我々が仕事を通じて残すものは、実は「作品」ではありません。
「共同作品」です。

 

ひとりじゃできない。周囲と創り上げていくってことですね。

では、その「共同作品」を創り出すためには、何が求められるか。

「共感」です。

 

ばっくりとは、仕事とは集合知であり、いろいろな人の「知識」や「知恵」を集め、新しい「知識」や「知恵」を生み出すことであると。

そうだよなーと。共感しまくり。

 

「成長」について、もう少し詳しく

「成長」は、ある意味で「最高の報酬」である、と。

「人間としての成長」とは何か。

それを、一言で述べておきましょう。
「心の世界に処す力」

 

?(むむ?)

 

ここで言う「力」には2つあって、1つは「心の世界を感じる力」、1つは「心の世界に働きかける力」。

 

??(むむむむむ??)

 

ここで言う「心の世界には」3つあると。

  1. 自分の心の世界
  2. 相手の心の世界
  3. 人間集団の心の世界

 

さらに。それれらの世界それぞれに「表面意識の世界」と「無意識の世界」がある。

例えば、「腕を磨こう」と努力する。しかし、それなりに努力しているつもりでも、少しも腕が磨かれない時がある。


この時、自分の心の中を見つめると、心の奥深くに「早く手軽に腕を磨きたい」という安易な気持ちがあることに気付く。
この安易な気持ちが、地道な努力を怠らせていることに気付く。

 

この気付きがあった時に、成長を遂げることができると。

 

また、自分は腕が上がったという慢心が生まれたり、良き仕事がしたいという想いが自己のエゴに依る「達成願望」から発せられた時(あるいは、本当は自分がコミットしていないビジョンを周囲に語るような時)、相手の共感が得られなかったり、仲間の心に火がつかず、上手くいかない局面に立たされることがある。

 

こうした、自分・相手・仲間の無意識の世界を感じる力。
仕事で問題に突き当たる時、その悩みや苦しみ、葛藤を通じて、「心の世界を感じる力」を身に付ける。

 

この力を身に付けた時に実感するのが、仲間の心の世界は、自分の心の世界の「鏡」であるということ。

自分が心を閉ざすならば、必ず、仲間も心を閉ざす。
自分が仲間に感謝するとき、なぜか、仲間の感謝が伝わってくる。

 

なので、自分の心の世界を変えるアプローチをとれば、周囲も変わる。
このことは、前述した2つめの力「心の世界に働きかける力」のことであり、心の世界を感じられたならば、2つめの力を得ることも決して難しくないと。

 

他にも、「心の生態系」という概念が書かれていて、ばっくりとは「チームビルディング」のようなこと。マネージャー次第でチームの生産性やモチベーションが変わる。みたいな話し、などなど。


ボリューム的に読みやすいけれど、だいぶ思想寄りの語り口調で好き嫌いが分かれるかも。

また、2008年に書かれた少し古い本ということもあり、「今の風潮はお金だよね」みたいな決めな雰囲気もあり、ちょっと違和感を感じる箇所もたまにあるけれど、書かれている内容は、ここ最近(僕が見る範囲の)の本と本質的には同じこととが書かれていて、いつの時代も悩みは一緒なのだな。

 

最初の「何のために仕事をするのか?」の返答、「自分のことを必要だと思ってもらうため」について。
これには能力が必要だし、すなわち仕事をいただき続けることだし、成長し続けないとこのことは成し得ない。何となく整理の視点をいただけた気がしました。

才能の見つけ方 天才の育て方 アメリカ ギフテッド教育最先端に学ぶ(読書メモ)

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会社の読書好きから教えてもらった本。

 

途中から「ギフテッド教育」の具体的な事例になったんだけど、そこはあまり興味なかったので読み飛ばし。
結局半分くらいしか読んでませんが、いくつか発見がありました。

 

「天才=ギフテッド」

例えば、15歳で膵臓がんの検知方法を開発した少年。

例えば、17歳でiPhoneを個人で初めてハッキングした天才ハッカー

 

ギフテッドの定義は、、、、、は、、、、実は無し(!)。世界的に統一された定義は存在しない。

いくつかある中で著者が注目しているのは「未訓練かつ自発的に表に出る自然な能力のこと。最低でも1つの分野で同じ年齢の子どもたちと比べ、上位10%に入る能力をもつ人」という定義。

ギフテッドは点から授かったもので、誰にそうしろと言われたわけでも、期待されたわけでもなく、内から自然に、生まれつき湧き出る能力がギフテッド。ひとつの分野で突出しているだけでよい。

 

ギフテッドは埋もれがち

ただ、ギフテッドが世に出ないことも多いとか。理由は 2つ。

  • 「才能は平等だけれど、機会は平等ではない」。経済的理由により、ギフテッドが表出しない。子どものポテンシャルを(経済的理由などで)受け入れられない親もいる。
  • ギフテッド・チルドレンがよく陥る「ギフテッドネスのスティグマ(烙印)」。要は、周囲に合わせちゃう。普通の子どものふりをする。

 

なので、ギフテッドは家庭と学校でのサポートがマストで、そもそも子どもの多様性を認めたり、ギフテッドを発揮できるよう(経済的にも)サポートしたり、また落ち込んでしまう時に支えたりする必要がある。


以下、感じたこと。


認め、育てる

天才は天才がゆえに周囲に馴染めない。馴染めないから馴染ませようとするのではなく、ありのままを認める。そこに、その子の「ギフテッド」が隠されているかもしれないから。


なんなら環境を変える。はみ出し者が、場所を変えれば(ギフテッドを認められる場所にいけば)たちまち「天才」と称される。

 

個性・環境・サポートの 3つが大切。興味深いのは、とがった個性とかあっても、環境がないと認められないし、サポートがないと開花しないってこと。


そうなるには理由・背景がある

僕には2人の子どもがいて、子育ては嫁に任せっきりのあかんたれなのだけれど、「あぁ、子育てしてる・してないの差はこれか」と感じたことが。

 

子どもの友達にはいろんな子がいる。中には、ちょっと眉をひそめちゃうようなやんちゃだったり、ちょっと理解に苦しむようなことをする子もいる。

 

僕は「こんなんしたらアカンわ」と、目の前の事象をもって判断・行動するのだけれど、嫁は「その子がそう立ち居振舞うのは理由がある(家庭環境とか、発育状況とか)」というスタンス。明示的にそう言うわけではないけれど(言ってたかな?)、彼女のジャッジや行動は、そのスタンスに立っている。

 

大人だって、そう

このスタンスに触れた時、例えば●●●や×××っぽい大人や、△△△郎って吐き捨てたくなる大人がいっぱいいるのだけど、「なぜこの人はそうなるのだろう?」と少し考えたりする。


それを考えると、大概のことは許せるし、「あの人とは合わない」という間違ったジャッジを未然に防ぐこともできるようになった(って、ムカつくヤツにはムカついちゃいますが(笑))

 

能力を埋もれさせるのは世の発展を毀損しているのと同義

上で書いた「個性・環境・サポート」に立ち返るのだけれど、例えギフテッドな人じゃくても、この3つがバチっとはまれば、すごい能力を発揮するのだろう。何かが欠けていて能力が発揮されないのはもったいない。その人の能力で、世の中が良くなるかもしれないのに。。。


もし身近に「環境」や「サポート」で苦しんでる人がいたら、何かしら出来ることはあるかも。


、、、と。まぁ、ぐんぐん成長する前の子どもと、成熟した大人を比べるのは色々捉え違いを生みそうですが、人が人に接するうえでの大切なことを再確認させてもらった気分になりました(本の後半のギフテッド教育の事例は読んでないけど)

UX KANSAI vol.9 ストーリーボーディングとprott

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1/15(日)は、2017年一発目の UX KANSAI。

 

プロトタイプ、、、、ではなくプロトタイピング(※)の手法のひとつ「ストーリーボーディング」が今回のテーマ。

 

(※)忘れがちなのでメモ

ちなみに、それぞれの「プロトタイピング」から得られる評価は以下の通り。

  • 思考発話法…観察から得られる問題点の発見。発話から得られる改善のヒント
  • オズの魔法使い…人口物とユーザー・環境との関連性
  • ストーリーボーディング…ユーザーの文脈的な行動とインターフェースの関係

 

試作を評価をする手法で有効的なのが「アクティングアウト」。いわゆる“寸劇”。
実際に試作が使われている状況をシミュレーションすることで、机上では分からなかった課題を発見する。

 

でも、残念ながら企業は「アクティングアウト」の採用には消極的で、プロトタイピングが有効に活用されていないことが最近表出しているとか。

 

でもね、あるみたいですよ。解決の方法。

  1. ストーリーボーディング(ウォークスルー法)
  2. 体験プロトタイピング
  3. 体験ムービー

今回は、その中の「ストーリーボーディング(ウォークスルー法)」を習得する会というわけです。

 

ストーリーボーディングの作成

いざ。

 

A4サイズの用紙の最上部にタスクを記入し、その下にユーザーの振る舞いを写真かイラスト・最下部にアクティビティシナリオ(粒度細かく)で表現する。

 

で、何枚か書いたうちの1つがこちら。

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、、、って、改めて見返すと、思うところがいろいろ。行動の文脈を知るのが目的なのに、そもそも粒度が粗いな。。。とか(汗)。

 

体験と操作

ウォークスルー評価の準備。壁にストーリーボードとワイヤーフレームを貼る。

  • ストーリーボードは「ユーザーの体験」(アクティビティ)。
  • 対して、具体的なワイヤーフレームは「ユーザーの操作」(インタラクション)。

アクティビティは普遍的なもの。時代が移っても変わらない人間の欲求(食べたいとか)。
インタラクションはその逆で、特殊なもの。時代と共に変わるデバイスやソフト。

イデアを考える際、後者起点になると本質を捉えないペラいものになる。というのは、これまでのワークショップで口酸っぱく言われてきた話し。

ウォークスルー評価

これはおもしろかった。被験者(ペルソナの類型)にストーリーボードを読みながらワイヤーフレームのインタフェースを操作してもらう。プラス、操作時に思ったことを発話してもらう(思考発話法)。
それを観察し、被験者がエラーを起こした箇所や逡巡した箇所にふせんを貼り、明示的にする。

 

被験者は3名。実際にワイヤーフレームを触ってもらいながらブツブツつぶやいてもらうのだけれど、共通して「?」となる箇所もいくつか。ユーザーが迷うポイントがどんどん炙り出される。


以下、実際にいただいたつぶやきの中からいくつかピックアップ

  • 「おぉ、いきなりこの画面?性急すぎるな、、」
  • 「(数秒沈黙)あぁ、これ地図か」
  • 「ん?詳細知るには、、、このボタンか」
  • 「日程いちいち選ぶのめんどい」
  • 「移動時間とか分からんし不安やな。。。」etc

 

日々の業務でも、検討しているプロトやワイヤーフレーム対して「実際にユーザーが使えるか。。。」と言う視点でチェックはしているのだけれど、最終ジャッジはプロジェクトマネージャーの主観に寄りがち。
結果的にそのジャッジが一番良いジャッジになるので問題にはならないけれど、新しい課題解決のための機能など、自身(やチーム)に知見のない領域のものをつくる際には、ウォークスルー評価ってむちゃくちゃ効果ありそうだなと。

 

ブレスト→UIの修正→遷移図の作成→prottへの移植

上記で出た材料を基に UIを修正。続いて全体像を網羅するため遷移図を作成。最後にprottに取り込み、ワイヤーフレームが遷移図通りに一通り操作できるようにする。

prottapp.com

先生曰く、ストーリーボーディングやprottのメリットは「推敲」できること。いったんかたちにして1週間くらい眺めてると、問題点がどんどん出てくるとか。
企業ではホワイトボードが使われるけれど、それだと成果物が消されてしまうので「推敲」が不十分になってしまうと。

 

講義内容はここまで。次回は成果物を実際に外で使ってみて、意図通りに使われるをチェックする「サービスサファリ」

 

制約は自分の中にある

ここからはセミナーの中で「!」と感じたこと。

先生から前回「リフレーミングが足りない」というご指摘をいただきましたが、同じような話し。
プロジェクトの目標は「しまなみリーディングの次のビジネスを生み出す」ですが、どうもみんな現状に縛られていると。
「観光」とか「自転車」とか言ってる時点でアウトだよねというご指摘(涙)。

 

別の場所で、同じテーマのワークショップをされていて、実際に出てきたビジネスモデルを共有いただいたのだけど、「ぐむぅ・・・」とぐぅの音も出ない。
ビジネスモデル自体は詳細に聞けてないのだけれど、そもそも前提条件が「観光」や「自転車」ではなく、現有リソースの運用(「活用」ではなく)と将来に向けたリソースの確保というもの。ぐむむ。。。

 

ビジネスに制約はない。制約は自分で設けている(「観光」とか「自転車」とか)。とは、先生のお言葉。

 

センス

今回ストーリーボードを作成にあたって、うまく言えないのだけれど「これ、何のための作業だ?」って違和感がずっとあった。


作成する目的は教えてもらったのでおかしな話だけれど、もやもやした違和感が払拭できないまま作業。
「既知の事実を紙に起こしているだけのような。。。あまり発見もないし。。。あぁ、そうか。全員が共通認識をもつための摺り合わせの意味が大きいのだな。」と言い聞かせ(?)作業を進めていたけれど、先生のツッコミでモヤモヤが晴れることに。

 

「ストーリーボードはお金を生み出すシーンを書かなきゃね」と。

 

あ~!確かに!!!ビジネスを考えるのは大事って言われてたのに、そうじゃないシーン作ってた!てか、先に言ってよ!先生(涙)!!!!

 

、、、と思ってたけど、「そういうシーンを作るのがセンスだよね」の一言に、またまたぐぅの音も出ない。

 

インサイト

ユーザーはもちろん、サービスに携わる全ての人に共通する小さなルールがある。それがインサイト。それを見つけ出すのが肝。
以前、インバウンドのサービスについてのワークショップの中で、すごい時間をかけてたった一つのインサイトを見つけたとのこと。

それは、、、「外国人観光客は●●●が●●●ところに●●●●」

なるほど~!(興味のある方は UX KANSAIに参加しよ~(笑))

 

ワークショップは「型」を覚える

以前言われた「ワークショップは質を問わない」と同じようなこと。
私たちのチームは(前回同様)「そもそもこのビジネスモデルでいけるのか?」で冒頭30分ほど足を止めてしまい、100%今回のワークショップに集中できなかった。
そもそも論に立ち戻るのは重要だけれど、ワークショップの目的が「型を覚える」ことだとすれば、それはそれで割り切って「型の習得」に集中すべきだったな。反省。

 

集合知”の難しさ

前出のことにも繋がるのだけれど、チームでの検討って中々思うように進めない。
全員が常にMTGに参加して摺り合わせをして、個別で検討を深めて、持ち寄ってまた摺り合わせをして、、、ということができればいいのだけれど、それは現実的ではない。

この状況は日々の業務でも起こることで、大事なのは「そんなもの」と割り切ったうえで、どう工夫でき得るかを考えることなんだろうな。

 

仕事でも何でも、一人でできることなんてない。チーム各人がどうやって各人の個性や能力を最大化できるか。そういったチームビルディング的なことの知見の必要性もひしひしと感じました。

 

 

次回でいよいよ1年通したワークショップも最終回。でも、他イベントとバッティングしてて参加できない可能性大!体が二つあったらいいのに(涙)

成長という蜃気楼(記事メモ)

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“素敵だなと思う人”のひとり、ハブチンさんの記事。

なるほどーと思うことが多いのだけれど、今回の記事は何となく違和感(?)があって何度か読み返しちゃう。

next.rikunabi.com

記事からピックアップ。

本業を頑張るだけでは足りずに、会社を飛び出して東京砂漠を駆け巡るとみえてくる、「成長」という蜃気楼が。

そんな喉から手が出るほど追い求めていた「成長」という蜃気楼が、起業してから自分でも嘘かと思うほど見えなくなった。

「成長」の蜃気楼を 追いかけていたときは、ここではないどこかにオアシスがあると思っていて、足元は砂漠だと思っていた。しかし日々の「暮らし」をむきあうことで、足元はオアシスになる。蜃気楼は見えなくなっていた。

暮らしと向き合うことで、自分と同じように困っている人がいることに気づく。
「成長」ができてなくても関係ない、困っている人たちのために、今自分ができることで貢献する。そうすれば蜃気楼を追いかけなくても、成長はあとからついてくるのではないだろうか。

“蜃気楼”という表現が「成長」を求めることに否定的なニュアンスを感じつつ、そうではないようにも捉えられる。


「成長」ってなんだ?

もやもや考えてるうちに「そういや成長ってなんだっけ?」と。

検索するとわりと上位に表示されたブログが参考になった。

globis.jp

成長とは、「長けた仕事」を超え、「豊かな仕事」をするようになることである。

 

「長けた仕事」とは技術的な成長の観点、物事の処理の「巧拙(上手か/下手か)」。
「豊かな仕事」とは精神的な成長の観点、その仕事の「意味」のこと。

 

これをドラッカーの言葉で説明する。

「指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は、初めて音楽を聴いた。
その後は上手に吹くことを超えて、音楽を創造するようになった。 これが成長である。 仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった」。

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誰しも入社3年くらいまでの間や、新しい業務を任された当初は、技術が伸びる「喜び」がある。しかし、仕事慣れしてくるにしたがって惰性が生じてくる。仕事に対するモチベーションの低下やキャリアの停滞感もそうしたところから始まる。

組織はそうした状態に対し、ジョブローテーションによる異動や新しい役割を与えるなどして従業員の意識をリフレッシュさせようとする。それはそれで有効的な“外科的”な方法ではある。


しかし、その人がほんとうに次の成長ステージに上がっていくためには、“内からの”変化が要る。それがすなわち、みずからの仕事に対し、意味を満たす「喜び」を見出せるかどうかだ。

真の成長は「内的変革」にあり、これがなされてこそ次の技術的成長も起こる。そしてそこからさらに精神的な成長があり、内的変化が起こる。この絶え間ない循環がキャリアを無限に開いていく。

 

「豊かな仕事」の域

おそらくハブチンさんは「豊かな仕事」のフェーズに入られていて、「長けた仕事」を越えたので、それを「「成長」の蜃気楼が見えなくなった」って表現されているのかなと解釈。

日々仕事をしている中で、悩んだり迷ったりするのはよくあること。

前出のブログによると、この域は「長けた仕事」を越えていける域。
日々ある悩みや迷いは、「豊かな仕事」を妄想しながら一方で「長けた仕事」が片手落ちであることがその原因なのかもな、と(そりゃそーだ)。