keita_shimabの日記

京都在住Webディレクターのイベント参加メモや読書メモなど。

『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書』読書メモ

2019年一発目の読了。

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0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書

 

書かれている内容は大きく3つ。

  1. なぜ「学ぶ」必要があるのか?
  2. 僕はこうして学んできた
  3. 身に付けておくべき4つの要素

※全般、読みやすく書かれていますが、もし「1.」で読み辛さを感じる場合は、「2.」から読んでとっかかりを作ってもいいかもしれません。


なぜ学ばなければいけないのか

 

「学校」の概念が変わっている

 

これまで
全員の知識レベルを一定の水準に引き上げることを目的としているため、「知識」の習得が主になる。

 

これから
これから必要なのは、様々な課題を解決するために必要な思考力を身に付けること。そのため「考え方」を習得できることが重要になる。
例えば、アメリカのミネルバ大学は「思考力」を身に付けることを目指す。この大学は教室を持たず、講義はオンラインで行われる。その独特な教育理念と、世界7カ国のキャンパスを移動して行われるアクロバティックなカリキュラムが特徴の新設大学。

 

「勉強」とは

 

新しいことを考えたり、新しいことを身に付ける方法を学ぶためにすること。
特定の勉強内容そのものよりも、勉強し続けることが大切。

 

「勉強」の構成要素

  • コンテンツ:数式、漢字 etc
  • レーニング:学習する訓練。自分なりの学び方とアウトプットの方法を身に付ける

勉強不要論者は、前者のことしか捉えてないのではないか。

 

ディスカッションが大事

 

ディスカッションの目的、ポイント

ディスカッションの目的は「答えを見つける」ことではなく、「多様な意見を導きだす」こと。

学問に正解は存在しない、課題に対して自分なりの問いを立てて解決策を考えることこそが学問。


ディスカッションすることで、「課題解決の方法を考え続ける習慣」を身に付けることができる。

 

ディスカッションで大切なのは「質問力」。自分が気になることを正しく質問する能力。
ここでは、何に対して疑問を抱くのかよりも、「自ら課題を発見しようという心構え」が重要。
この心構えがないと、学びの場にいても(ex.大学に通っても)自分のテーマが見出せず、自分の得意とする専門性を身に付けたりじっくり研究できない人になってしまう。

 

世の中にはディスカッションができない、あるいは苦手と感じている人が多い。これは、他人の考えと自分の考えを反芻しながら話し聞く習慣が足りないからなのだろう。

 

ディスカッションを促すために必要なスキル

別の話しで、先生が生徒にディスカッションを促す場合は、先生側に以下のような高度なスキルが要求される。

  • 自ら問いを立てて安易な正解を求めようとしない能力
  • 課題解決に向けた調査方法の考案とそれを促進させる指導力
  • 学生同士の議論が深まるような質問のテクニック
  • 話題が横に広がったときに対応できる幅広い知識と経験

 

「経験」が大事。その差が能力の差になる

幼児期に五感を使った体験を積むことは非常に重要。見る・聞くだけでなく、肌で感じるもの、匂いや味も含めた体験。五感を使って外界の出来事を繊細に感じるとる力(ex.音感や色彩感覚など)は、年齢を重ねると感覚を磨くことが年々難しくなる。


色々な場所に出向き、色々な人と出会い、多様な価値感に触れさせる。ベースになる能力は1日では変わらないけれど、経験は1日で大きな収穫がある。


経験には「偏り」が生まれてしまうが、それがいい。教育によって身についた能力は標準化されるけれど、自分がやりたいモチベーションで積んだ経験から得られる能力は、モチベーションが加わることで100倍にも200倍にもなる。

 

人と繋がるコストが下がった今、親がそれをどう活用するかが重要。子どもが普段出会えない人と接点を持ったり、親が属するコミュニティに連れていくことで、そこなら自信を持って喋れるし、質問にも応えられる。子どもの好奇心を強く刺激することができる。

 

 

次世代教育に欠かせない「自前思考」と「複数の柱」

 

自前思考

一人ひとりの意見を尊重する包括的(インクルージブル)な価値感が重要になる。

だからこそ、自前のマインド、自分なりの判断を持つことが大切です。つまり、どの分野が自分にとっては重要で、何を意識していく必要があるのかを、常に言えるようにしておくことです。

 

複数の柱

自分の中に柱となる専門性を二つ以上持つということ(※落合氏の場合は「アート」と「テクノロジー」)。

これからの時代、唯一の得意分野や専門的スキルに特化するという選択はリスクが高くなります。そのスキルが必要とされる業界や仕事が、いつ廃れるかわからない時代だからです。

 

突出した柱が無い場合は、「周囲の人より得意」「強いこだわりがある」これらを複数組み合わせて総合力で勝負する方法もある。
ex.) 地方に移住してイチゴ農家になり、ライブコマースでイチゴを売ったり、自ら育てたイチゴの素晴らしさを語る台本を書いて、ライブコマースを通じて新しいライフスタイルを提案するなど。

 

今後の社会の競争の中で生きることが大変になる人

 

「何者でもない」人。自分の中にある画一化されてない能力に、自分自身で価値をつけることが重要。個人の社会的な訴求力が求められる。

一方で、そこそこで良いと思っていたり、自分で主体的に何か考えたり決めたりしたくない人もいる。
こういった人を支援し生活の糧を生み出す方向にテクノロジーは向かうべき。

 

借金(資金調達)できることが大事

 

これからは貯金ができる人より、資金調達できることが大事。

資金調達するうえで必要な下記の力を身に付けることが重要。

  • 信用がある
  • プレゼン能力がある
  • 未来のニーズを予測する能力がある

 

脱・近代

 

  • 近代:150年前の明治維新によって誕生した近代国家としての日本のあり方
  • 脱・近代:17世紀以降にヨーロッパやアメリカで成立した国民国家という枠組みを想定したルールや制度を、今の技術と時代に適用させたあり方

テクノロジーと人の共生、文化と社会制度の自然な更新の先にあるのは、コンピュ―テーショナルな社会適応、計算機時代の自然と人類が相補完的な存在になる社会

 

近代化の柱として、国民への学校教育が果たした役割は大きい。

現代の問題の理解には、現在の教育システムの生成過程や背景を知ることが重要。


日本の近代教育は、明治期の人口の自然増加が前提。また「富国強兵」という国家目標の下、国民を標準化・均質化することに重きが置かれている。
拡充されるインフラの中で国民国家建設のため、人的資源を工業・農業・社会インフラの面で効率的に利用しようとするものである。

 

ただ、今はそうじゃない。
社会としてはハードウェアと工場生産を中心とした社会からの転換が起きている。個々人の生存戦略としては、何らかの資産を投資する資本化側に回ることが求められる。

 

落合陽一の生成過程(どんな教育を選び・どう進んできたか)

 

落合陽一氏の幼少期・小学校・中学校・高校・大学(院)・大学院終了後といった各フェーズで、どう学んで来たかが書かれています。ざっくりとは、自分のやりたいと思ったことは全てやる。出来るだけ色々な専門家に教えを乞う。またそうできるような環境に身を置く(ex.研究がしやすいから大学に通うなど)といったことが書かれていました。

 


「STEAM時代」に身に付けておくべき4つの要素

 

「アート」の必要性

 

近年、日本でも必要性が叫ばれているSTEM(科学(Science)/技術(Technology)/工学(Engineering)/数学(Mathematics)。これに芸術(Art)を加える潮流がある。
これは評価されることで、STEMでは超えられない、「何か新しいものを生み出したい」という非合理的な欲望をアートから引き出そうというもの。

なぜ、アートが必要なのか。それはSTEM教育で育成された人材は、基本的にシステム思考に陥りがちだからです。つまり、ある課題に対してどんな情報を集めどう処理するのか、その最適解を求めロードマップを作ろうとするのです。
しかし、ものを作る時にあるフレームにあてはめて、現状を捉え、最初からロードマップを引くということは、創造のプロセスを予測するということであり、それは当初のプランを超えた成果物を生み出そうとする動機やきっかけを著しく減退させます。そこから飛びぬけた発想による飛躍的なジャンプは生まれません

 

日本のSTEAM教育に不足している4つの要素

  1. 言語(ロジック化など)
  2. 物理(物の理という意味で)
  3. 数学(統計的分析やプログラミング)
  4. アート(審美眼・文脈・ものづくり)

具体的には、言語をロジカルに用いる脳力、物理的なものの見方や考え方、数学を用いた統計的判断や推定力、アートやデザインの鑑賞能力審美眼です。

ex.) リンゴ

  • 言語:リンゴを「言葉」として表す(林檎、Apple、pommme/赤い、瑞々しい/etc)
  • 物理:リンゴが作る「現象」を捉える(赤いリンゴと青いリンゴの違い/強度やかじる音/etc)
  • 数学:リンゴを「データ」として表す(リンゴのかたちを数学的に表現する/リンゴのかたちは皮の上の無数の点の集合体/etc)
  • アート:リンゴを「五感を通じて創造性を喚起させる物」として定時する(印象を絵で表現/生もの/etc)

この4つの領域を行き来するこが重要。

 

言語

言語能力が足りない理由の一つに「アカデミック・ライティング」の教育不足が挙げられる。

アカデミック・ライティングとは論文を書く時に使われる手法ですが、簡単に言うと、相手が理解できる意味の明確な単語を使い、論理的に正しく意味が伝わるように文章を書くということ

論理的な文章を書くことができないと、解説文や説明文を正確に書けない。
この「論理的」については、数学の論理的思考法が役に立つ。

 

物理

物(もの)の理(ことわり)。起きている全ての現象の背景にある普遍的な法則。
これは対象を観察することがスタートで、対象に対して「なぜ」を投げ続けること。

今の教育では、物理が教科前提になっていて、現実の物理現象と結び付けられる人が少ない。
知識を通じて物理世界と触れ合う感覚が身につかず、そうなると目の前の現象が何らかのブラックボックスによるものだと捉えてしまい、問題解決思考が弱まってしまう。

 

数学
数学的直感を使って得られる情報は、言葉以上に多くのことを伝えてくれる。
数学的直感の要素として重要なのが、解析的に考えるか、統計的に考えるかを理解すること。

解析的に考えること(解析的思考)は、問題を解くための数式なり理論などのモデルを探すこと。ある問題に対して「何らかの法則や理論に則っているのでは?」という発想から始まる。

解析的な思考や判断の終着点は、ある事象を説明した最終的な数式があって、それによって指し示されるものは何か。その数式によって何が言えるのかを考えることになります。

 

統計的に考えること(統計的思考)は、一つのモデルに収斂されたり回帰したりするパターンを見つけ、その原因を考えること。ある事柄が何度も繰り返し発生する中で傾向を読み解き、意味を見出すこと。

 

この2つのアプローチは、どちらか一方で良いものではなく、常に両者を行き来しながら思考や判断を深めていくべき。

具体的には、、、

  • 考えるためにまずはデータを集める
  • そこから法則らしきものを見つける
  • それに従ってみる
  • これが正しいか統計的に判断する

 

アート
今あるシステムや常識を疑い、それを超えるための自分の文脈の構築や審美眼を備えた深い思考のこと。大事なのは、自分のコンテクストを持つこと(自分なりの観点、世界の見方)。
STEMが論理的思考な一方で、アートは感覚的・直感的思考。どちらかではなく、両方持つことが大事。

 

読後メモ

 

僕の周りには「頭の良い人(地頭の良い人)」がたくさんいて、その人たちとの実力差に辟易しつつ、一方で「(差がある状況)だからこそ学ばないといけないんだ」というモチベーションにもなっています。

 

それ自体は悪いことではないのだけれど、本を読んで、自分の考え方や心の在り様(スタンス?)が少しズレているような気がしてきました。

 

ぼんやりと「頭の良い人=正解を知っている人」みたいなイメージがあったけれど、そうではない。頭の良い人は、正解が無いことを知っていて、愚直に学び続けている人たち(疑問を持ち続けている人たち)だったんだなと思い直しました。

 

確実なことなんて1つもないVUCAな時代において、いかに「学び」をライフワークに取り組むか。そして、それを高いモチベーションでやり続け発展させていくか。

 

このブログも上手く活用しつつ、残り60年学び続けよっと。