「やってから考える」大切さ(夏休みの作品作り)
子どもの夏休みの作品作りで、だいぶ前から嫁が情報収集をしていて「これ作って」って依頼があり、実際に取り組んでみて感じたことの話し。
ガラクタおもちゃがおしゃれなインテリアになるっていうアイデアで、実際の作り方ネットで公開されているもの。
作品作りの目的は?
依頼を受けた時は、なんか出来合いものを組み立てるだけの“言われたとおりにしたらいい”感じで、あまり気分が乗らなかった。
「というか、夏休みの作品作りにはもっと大切な意味合い(目的)があるのでは?」とか「もっと何を作るのかのプロセスを大切にするべきでは?」とか、「作る楽しみとは?」みたいなことを考え出したりしたのだけど、考えるのはいいけれど、(余裕も意志もないくせに考え出したもんだから)それが足かせになって何だか腰も重く、ますます気分が乗らないシマツ。。。
期日がきたらやるしかない
うねうねしたら着工日(?)になり、とりあえず気分を盛り上げようと、チビと僕だけで朝からファミレスにいって何を作るか作戦会議。
といっても作るものは決まっていたし、チビもそこまで意志がないようで当初の予定通りのものを作ることに決定。
※ 今になって考えると、ここでチビは意志を持っていなかった。それが良い悪いではなく、意志を持っていないことが大切で、そのチビに対して「本当にこれでいいの?もっとかっこいいものつくろうよ!」みたいなことを強要(?)するのはナンセンスだなと。大切なのは、意志を持てるようにプロセスを踏むことなのでは。と思ったり。
原価 3,000円超の作品はプライスレス
とりあえずあちこちで材料購入し、作業にとりかかるのだけれど、これはこれで楽しい。
チビにとってはスプレーをする行為自体が始めてっていうことと、スプレーをすることで一瞬で対象の雰囲気が変わる様を目の当たりにすることは、たぶん脳みそのどこかの部分を刺激したのでは?
モノができれば気分が盛り上がる。気分が盛り上がれば、過去のことはいろいろ塗り替えられる。
仕事でもそうだけれど、モノが出来ると気分が盛り上がる。モノが出来あがれば「次はどうしよう」とか考え出す。
気分が盛り上がれば、これまでの過程もポジティブな記憶に塗り替えられるし(←大げさ)、上手く言えないけれど目の前にあるモノをポジティブに受け止めようとする心理が働くような感覚もある。
まとめ
モノが作れる人がすごいとかではなく、とりあえず動くことで得られるものがあること。そして大切なのは「まずは動くこと」。"NO Talk,All Action."の大切さを、日々の暮らしの中で感じる次第。
仕事もプライベートも、ごちゃごちゃ言わずにやってみろーってことですね。
まとめの後に「情報に価値はない」
全然関係ないけれど、先日ある起業家の方から「情報に価値は無い」というお話しを伺って、例えば今回作ったモノの作り方とか自分自身には価値だったのだけれど、オープンになっている時点で対価を得られるような価値にはなっていないなと。なんだかいろいろ考えさせられる出来事でした。